私が大学入学と同時にアルバイト講師として塾・予備校の世界に足を踏み入れて以来、数多くの「受験生」と接してきました。その中で出会った一人一人にそれぞれの思いがあり、物語があります。
第一志望に合格した生徒、推薦入試は失意に終わり一般入試で合格できた生徒、家庭の事情で受験を回避せざるを得なかった生徒、様々な事情から泣く泣く受験校を変えた生徒、体調に不安を抱えながらも自分の夢に向けて必死に努力した生徒、自分の本当にやりたいことを追求するために再挑戦を決めた生徒、当初思い描いていた本命とは違う場所に進学したけれど、その場所で必死に頑張って夢を叶えた生徒……。
不安と戦いながら,逆境と戦いながら、そして時には後悔しながら、それでも前を向いて何とか未来を切り開こうと必死になっていた、そんな姿が目に焼きついています。
私たちを取り巻く社会情勢や環境が大きく変化している昨今、厳しい状況下に置かれながらも自身の将来を切り拓くために努力を重ねる受験生の姿は以前と変わることなく存在しており、その眼差しは私たち「大人」のあるべき姿を映し出してくれているようにすら感じます。
予備校講師として活動している今、「教育」のあるべき姿とは何かということにふと思いを馳せることがあります。その答えはすぐに出るものではあり得ず、人によって千差万別なものなのだと思います。とはいえ、これだけははっきり言えるでしょう。それは「何かを学ぶということは、自分の人生に多かれ少なかれ影響を及ぼす」ということです。
成人年齢が引き下げられたことに伴い、多くの青少年たちがこれまで以上に早い段階で自らの人生の選択を迫られることになりました。多くの場合において、「何かを選ぶ」ということは、同時に「何かを選ばない」ことを意味します。後になってより後悔の少ない選択をするためには、手元にある選択肢の多さや見えている世界の広さ、すなわち自分の中に存在する「判断基準」が大いに越したことはありません。そして、私たちは「教育」を通してその選択肢を増やし、世界を広げていくサポートをしていきたいと考えています。
私たちのミッションの一つ「青少年の澪標に。」の中に込められた「澪標」というものは私に多大な影響を与えてくれた語であり、存在です。古来、水深の浅い港や川岸などで船の航路を示すための目印として用いられてきた澪標のように、私たちも多くの青少年に少しでも良い道筋を示すことのできる存在になりたいと心から願っています。もちろん、私たちの見てきたものや考えていることがすべて正しいとは限らず、それぞれの「正しい」道は幾通りもあることでしょう。それでも、少しばかり先を生きた者として、多くの受験生を見てきた者として、そして何より私たち自身が先人たちに導いてもらってきた者として、手にしてきた良き物を私たちが次世代へと継承していくべき番なのだと感じています。
私たちの活動を通して、青少年が自らの置かれた環境に拘らず、自身の未来を自らの手で切り拓ける社会の実現に一歩近づくことができればこれ以上ない喜びです。
一般社団法人文華樹 代表理事
羽場雅希